法然上人のお言葉

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浄土宗の開祖、法然上人のお言葉をご紹介して参ります。
お勤めの際に繰り返し読まれるものが「御法語」として纏められておりまして、前篇・後篇各三十一、合計六十二のお言葉がございます。香念寺では月に一度の日曜勤行会にて、一つのお言葉を原文・和訳二ヶ月かけてお読みしております。

【前篇】
第一 難値得遇
遇い難い仏教に遇いながら虚しく時を過ごしてはならない。

第二 立教開宗
仏教の覚りは三学によるが、それに堪えられないと思った私は、三学によらない道を善導大師の教えの中に見出した。

第三 聖浄二門
お念仏の修行は、智慧を極めて覚る道ではなく、愚痴に立ち戻って極楽に生まれる道である。

第四 出世本願
念仏往生の本願は、阿弥陀仏が一切衆生を平等に救おうとする慈悲に基づく。釈尊が出現されたのはこの教えを説くためである。

第五 選択本願
凡夫が往生できるという教えは、阿弥陀仏が法蔵菩薩であった時に立てられた本願に基づく。

第六 五劫思惟
法蔵菩薩は一切衆生を平等に浄土へ迎えるため、「私の修行の功徳を南無阿弥陀仏の六字にこめて人々に称えさせよう」と決意された。

第七 諸仏証誠
六方の諸仏が教えの正しさを証言しておられるから、お念仏して弥陀の本願、釈尊の付属、諸仏の守護を一身に受けよ。

第八 万機普益
浄土宗が他の宗に勝り、お念仏が他の行より優れているのは、万民を救済する点にある。

第九 安心
念仏者の心構えは、往生を願い、お念仏すれば阿弥陀仏がお迎えくださると信じる以外にない。それが自然に三心となる。

第十 小消息
末法の世では我が身の善悪を顧みず、教えを信じ、往生を求めてお念仏を多く称え、罪を犯さないように努めよ。

第十一 深心
深心とは、「いかなる自分であろうとも、お念仏すれば阿弥陀仏の本願の力で往生できる」という確信である。

第十二 正雑二行
速やかに苦しみの境涯を超えるには、浄土門に入ってお念仏に専念せよ。阿弥陀仏の本願によって必ず往生できる。

第十三 二行得失
お念仏すれば全ての人が往生するのに、他の修行では稀にしか往生できないのは、弥陀・釈迦の御心に随わないからである。

第十四 専修念仏
お念仏は生まれつきのままに修めればよいが、努めて悪を改めるがよい。

第十五 信行双修
お念仏は一遍でも往生できると信じつつ一生涯勤めよ。

第十六 他力念仏
他力念仏・自力念仏の分かれ目は回数の多少によらず、本願他力に頼るか頼らないかによる。

第十七 易行往生
お念仏は多くの意味を伴うが、南無阿弥陀仏と称える中に全てこもっている。努めて心を清くしてお念仏せよ。

第十八 自身安穏
念仏者は、常日頃、念仏第一と考え、お念仏しやすい環境を整えよ。

第十九 乗仏本願
阿弥陀仏の本願の力に乗じて往生できるか否かは、本願を最も重視するか否かによる。

第二十 難修観法
往生を願う者は、阿弥陀仏や極楽のありさまを観想しようとせず、口にお念仏を称えよ。

第二十一 精進
多くの人は仏教の行き渡る世にありながら、遊びに耽り仕事に追われ、悪業を重ねるだけで、修行せずに過ごしている。

第二十二 無常迅速
繁栄は長続きせず人生は短い。修行せずに死ねば後悔先に立たずである。

第二十三 一枚起請文
浄土宗の念仏は、称えれば極楽往生疑いなしと信じ、愚痴に還ってひたすら南無阿弥陀仏と称えることである。

第二十四 別時念仏
日常のお念仏だけで充分ではあるが、つい疎かになりがちであるから、時には時間を設けて集中的に励むべきである。

第二十五 導師嘆徳
『観経疏』は浄土宗の教えの根幹であり、善導大師は阿弥陀仏の化身である。この書によって私法然はお念仏に帰依した。

第二十六 光明摂取
阿弥陀仏の救いの光は、念仏者を選んで照らす。お念仏に励むがよい。

第二十七 親縁
念仏者が弥陀を礼し称え念じれば、弥陀はこれを見聞き念じて、両者が親子のようになる。自分の耳に聞こえる程度以上の声でお念仏せよ。

第二十八 来迎引接
お念仏による往生は、動かしようのない絶対法則である。

第二十九 対治慢心
「私ほどの念仏者はあるまい」と慢心することは、阿弥陀仏の力で往生する身として相応しくない。

第三十 一期勧化
私の遺跡を一箇所に限ってはならない。お念仏の声する所みなわが遺跡である。

第三十一 勧進行者
他宗の人との対話も論争も慎め。念仏者には助力を惜しむな。

TEL 03-3602-1287

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